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テキトーの一問一答:徳ってなに?

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徳とはの説明

こんにちわ、テキトーです。
今回の一問一答についてご説明をしたいと思います。

ご質問をご投稿いただき、ありがとうございます。

名無しさん ありがとうです

 

徳について

『徳』というのは、自分の魂が長い年月をかけて積み重ねてきた『経験の結晶』です。

『経験の結晶の値』を僕は『徳点』と呼んでいます。
樹木などの木に例えて言えば『年輪』と似ているので『魂の年輪』とも呼んでいます。

僕たちの魂は、長い年月をかけて動物や人の体を借りながら徳を積んでいきます。

また徳は『その肉体や精神が死んだ後』に、これまで積まれてきた『徳』に合算されます。
ですので今世で持ってきた『徳点』が、今世の中で増えることは基本的にはありません。
(※上記理由から今世で徳を見るのは1人一回で良いと思います。下がることはありませんので)

 

また、肉体や精神に「生まれ変わるほどの何か」が起きれば、今世のうちに徳点が加算される可能性はあります。しかし、その状態を経験するということは『肉体か精神の死』を意味しているので、そんな状態になったら、まともには生きてはいけないのが現実だと思います。

肉体の場合、ある意味赤ちゃんの状態に戻るのですから、普通には生活できないことや、もしかしたら後遺症でそれどころでは無かったりするかもしれません。精神の場合は、精神崩壊を起こしたり、まともに考えることができなかったりするでしょう。

そんな状況で「さぁこれから経験を積もう」なんてことは言ってられませんよね。

生まれ変わり=死だからね

自分の経験上、そんな厳しい経験をしたらなら、普通の人は死んでしまうか自殺していると思います。僕は今世で相当つらい人生を送ってきましたが、僕が生きてるのは小さな頃から「ルールを知っているから」であり、本当にギリギリ生きてこれただけです。

 

あと『徳』というのを巷(ちまた)では「良いおこないをする事で得れるモノ」と認識されていますが、本当の『徳』とは、たとえ『良い行い』をしたとしても積めるなんてことはありません。

徳を積むには、自らの糧にしなければならいのです。
必ず「自分の経験」として落とし込まなければ徳はカウントされないということです。

ですので、たとえ何億人の命を救おうが、もしそれが「当たり前の出来事」であれば『徳』には繋がらないということです。

 

例え話(徳を積む一連の流れ)

毎年、何百人・何千人の命を救う凄腕の名医がいたとします。
彼にとって「人を救うこと」は日常だとしましょう。

もし名医である彼が『人を助けること』にあきていたとしたら徳は積めません。
医者になった最初のうちは徳を積めていたかもしれませんが…

徳点は『経験の結晶の値(魂の年輪)』です。
年輪が現れるほどの濃厚な経験が必要なのです。魂に刻み込まれるほどの濃い経験が。

もし彼が、全く未知の分野に手を出したとしましょう。医療ではなくプログラミングや建築、その他何でも良いです。未知の分野では、たとえ名医である彼でも『新しい分野』ではずぶの素人。その世界を一切知らないことになりますね。

その未知の世界の扉を叩くには、まず挑戦が必要となります。また、ずぶの素人が「最初からうまくいくことはない」ので、基本的には挫折するでしょう。進むにつれ、大きな壁にぶちあたり、悩み苦しみ、何度も何度も再挑戦をするでしょう。

どこかのタイミングで『何か』を閃き、自分なりの道を切り開くことでしょう。
壁を超えた時、その世界でようやく喜びを感じるのではないでしょうか。
ようやく彼の求める結果や答えまでたどり着き、彼は満足したとします。

この一連の流れを経験した時、彼の魂には『徳』が積まれたことになります。
あくまで一例ですが、そんな人も少なくないでしょう。

簡単そうに見えて果てしなく遠い道

「そんなことで徳が積めるのか?」と思う方もいるでしょう。
しかし人間の寿命は思っているど長くはありません。頑張っても120歳程度であり、しかも元気に動ける時間はその半分(60歳)にもみたないと思います。

そんな短い時間のなかで、どれだけの『新たな経験』を積めるでしょうか。

もし、あなたが今60歳を過ぎたあたりで、人生経験も豊富にあり、ある程度の豊かさを保ち、家族と暮らし幸せに生活できる環境があったとします。定年をそろそろ迎える時に思うことは「さぁこれから何かやろう!」でしょう。

でも…『苦労を前提とする選択』を果たしてあなたは選ぶでしょうか。
私にはそうは思えません。

人間というのはどこかで保守的な考えを必ず持っています。常に幸せや安定を維持したいと願っています。家族と幸せに暮らせれば、死ぬまでそのまま安泰で居続けたいとも願っているはずです。

そう考えると『新しいことに挑戦できる時間』というのはそんなに無いんですね。
頑張っても若いうち、40代〜50代まででしょう。

さらに言えば『日常生活をしながら』となると、尚更難しいものだと思います。学校に行きながら、仕事をしながら、家族と暮らしながら、そんな日常の中でさえも『数えきれないくらい多くの経験』は発生しています。そこからさらに『新しい何か』を…と考えると、時間など到底足りません。

もし、それができる人がいれば、本当に素晴らしい人だと思います。しかし、そう思える人の割合はかなり少ない方でしょう。

だからこそ、人の一生涯で『経験を積むこと』はとても大変なことなのです。
そのさらに先にある『経験の結晶』にまで昇華させようというのは、並大抵のことではないんですね。

 

形を成すことの意味

私たちの魂が『人間の形』になるまでには、何百年、何千年という長い時間がかかります。植物や昆虫、爬虫類や魚、草食動物や肉食動物など、地球に生息するさまざまな生命の体を借りて、今の人間の形、状態へと進んできました。

この『人間の形』になるまで何百年でも何千年でも繰り返し行ってきているのですから、とてつもなく長い話なのです。そんな事も知らずに、人は簡単に自殺してしまいます。

さらに魂は常に『経験』を求めています。
それは「徳を積もう」など関係ないくらい『経験』に飢えています。経験の結晶や魂の年輪として刻まれれば良い(ラッキー)など、そんなことすら考えていないくらい『本能的』に求めています。

人間の身体である事もその一つ、生命として生きている事もその一つ、食事をする事も、勉強や仕事、子育てをする事もその一つなのです。

 

私たちの体・使命

私たちの体は常に『魂』に経験を与えるために動いています。
言い換えれば、私たちの肉体は『魂の奴隷』です。

この事実を知っていると「人間の意味が分からなくなる」ことが多くなります。そうさせるかのように『魂』は過去の記憶や答えを見せません。

そうしなければ『この社会』は成り立たないからなのです。
ただ、そのことに気づくことができるのもまた『人間』でもあります。

『徳を知る』というのは、そんな世界の一端を知るということなのです。

 

編集後記

魂は自分勝手です。肉体の話などあまり聞きません。

また肉体も自分勝手です。魂の話などあまり聞きません。

お互いが別々のものであるからこそ、
より多くの経験を積むことができるとも考えられます。

ある意味、魂の声を聞きすぎるのも肉体にとっては辛く苦しいことなのだとも思います。

肉体を借りていることの理解は必要ですが、
必死になって『魂の声』聴く必要はないんじゃないかなと思いますね。

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