パラレルワールド(parallel world)とは、ある世界(時空)から分岐し、それに並行して存在する別の世界(時空)を指す。並行世界、並行宇宙、並行時空ともいう。
「異世界(異界)」、「魔界」、「四次元世界」などとは違い、パラレルワールドは我々の宇宙と同一の次元を持つ。SFの世界でのみならず、理論物理学の世界でもその存在の可能性について語られている。
と現在では認識されている。
しかし、その存在自体を証明した人間はおらず、また全て仮説の上で成り立っている。
ここで答えを言おう。
「パラレルワールド」は、存在しない。
できないと言い換えても良い。
何故ならば、この宇宙全てを含め「時間軸は1つ」しか存在しないからだ。
一つの宇宙が終わると、次の宇宙へと進む。
例えるならば、一本の「レール」の上を進む「電車」が「宇宙」だ。
「電車(宇宙)」に乗っている人間や生命、星など全てを含め、
それらを乗せている「電車(宇宙)」は、「時間軸」と言う「レールの上」しか走る事はできない。
もし仮に「レール」が「分岐」してしまうと、「必然」が消えてしまう事になる。
幾度か伝えている様に、「運命」とは「必然」で成り立っている。
この「必然」は、分岐が起こると「消え」てしまう。
「分岐」が存在しない理由は、現在も「必然」が発生している事と、これからも「必然」に向かって進むからである。
また、仮にどこかの時点で「分岐」が発生したとしよう。
そこから先は「0」に戻る。
あなたや私が生きている時点で「分岐」は起こっていないと知れる。
では何故「分岐」を願うのだろうか。
また「夢」を抱いてしまうのだろうか。
答えば簡単だ。
「取り返し」がつかないからである。
人生において、「未来の情報」を得る事は極めて困難である。
「後悔は後からやってくるもの」とある様に、未来の情報は「未来」で手にいれる事になる。
先に分かっていれば、どれだけの「近道」を得る事が出来ただろう。
皆、そういう思考に陥る時は多いはずだ。
「たられば」と言う言葉は、何も桃鉄だけのものではない。
しかし、勘違いをしてはいけない。
「後悔」も「迷い」も、それらが無ければ「生きる意味」は無いのだ。
人間は「経験」する為に生まれてくる。
子孫を残す事は、実は「二の次」なのだ。
「生まれた」のであれば「経験」を手に入れて帰ら無ければならない。
もし、生まれた瞬間に「未来」を全て知る事ができれば、その時点で「経験」は終了である。
終了すると言う事は「生まれる必要」が無いのだ。
あくまで「経験」をする為に「人生」が用意されている。
また「迷い」や「後悔」は「経験値」を増やす為の効率的なツールだ。
そして「迷う」事が前提で「生命」、特に「人間」は生きる様にプログラムされている。
人間は「迷って良い」生き物なのだ。
そして「間違っても良い」生き物なのだ。
何故ならば、それを取り返す「チャンス」が必ずどこかで用意されているからである。
これは何も「励まそう」として記載している訳でわない。
それ自体が「プログラミング」された「結果」だからである。
どこかの誰かは「自分はパラレルワールドを経験した」と記述する事もあるだろう。
しかし、もし「パラレルワールド」に向かってしまったら、それはもう「戻っては来れない」状態である。
時間軸上「一つ」しか存在しないのであれば、
別の「レール」に乗ってしまった時点で、その人は「ここから消えた」事になるからだ。