運命の確証とは?

運命とは、偶然でしか起こり得無い事象・現象の事

皆さんの人生において『いくつかの偶然』を経験した事があるかと思います。ある人にとってはそれが自分の人生を激変させる要因になるなんてことも🤔。しかし『何が偶然』で『何が必然』かを知らなければ全てが『偶然』として見えてしまうでしょう。あなたが生まれた事も『偶然』のようでもあるし、家族や恋人や友達と出会った事も『偶然』と思えてしまうでしょうね。

しかしそれらは全て『必然』になるのです。なぜならば『必然の中』でしか未来は設定されないからなのです。未来とは『設定された電車のレール』のようなもを指します。電車自体はレールがなければ目的地へ進む事はできませんね。そもそも電車には右や左へ曲がるハンドルがついていません。

 

人生も似たようなもので、人生自体に『ハンドル』は存在しません。目的地へ進むための『敷かれたレール』しかないのです。その上を僕らは進んでいるにすぎないという事です。また「自由だ」と感じている『あなたの人生』も、実際には『ある目的地』へ向かう為に今進んでいるだけなのです。「いつ」に「どこ」へ行き「誰」と「何」をするのか、それらは(ある程度)決まっていると理解すると良いでしょう。

 

ここで本題に戻りますが『運命の確証』を得るためには『目的地』までの『距離(時間)』と『ルート(道筋)』を知る必要があります。人それぞれの『目的地』は個々にバラバラに設定されていますが『人間としての歩み』は似たものを辿ります。また人によってそれぞれに『進むスピードが違う』ので人を軸にしてもバラバラに見えているということでもあります。

それらを踏まえ「運命の確証」を見つけるには、まず『自分の目的地』を見つけましょう。
『目的地』が見つかればそこへ到達すべき『距離(時間)』が割り出せるからです。

さらに『目的地』は人によって数が違います。そんないくつもの『目的地』を人生の中で経ることで自分が『最終的にはどこへ行きたいのか』が分かってくると思います。経験とはそれら『目的地』を明確化させる『技術』だと考えると良いでしょう。

 

この記事を見ているあなたも「これは必然か?」「または偶然か?」と何度か悩んだ事があるでしょう。

答えはお伝えしたた通りでです。

自らで見つける為には、まず自分をもう一度知る必要がありますね。

 

いろいろ小難しい事を書いてはいますが、簡単に言うと『どこ』で『何をして』『誰と会う』のかはある程度(ほぼ)決まっています。それを皆さんが知っている訳ではないので『目的地』に当たるまで沢山の経験を積んだり、または多くの人に会う事が大事となりますね。

色々な経験や体験、出会いは全て『目的地』を知る為の道具や技術だと知るとこの世界は面白く見えてくるでしょう。

コメント

  1. ほげきゅー より:

    四柱推命ってこの運命の指針になるもののように思ってますが適当君はどう思われますか。なんかこれまでの自分の人生のステージを結構的確に表してるなあと個人的には思うんですけれども。縁をあまり作らなかった時期とか社会に積極的に出て色々な縁ができてきた時期とかが結構一致してて面白いんです。

    • Tekitou より:

      コメントありがとうございます。
      似ている…というよりかは、全ての「道具(支柱やタロット含む全て)」は、レコードを見たいが為に出来た「模造品」でしかありません。
      皆、運命を知りたい。全ての事を知りたいという願いがそういった「今できる限界」を映し出しています。

      人の進化によって、レコードへのアクセスは誰でもできる様になりますが、
      それまでの「つなぎ」として、そういった「道具」があると考えていただけると良いかと思います。

      例えば、船で航海している最中、遠くに「島」が見つかったとします。
      望遠鏡を使って、その島を見ている状態が「今」です。

      しかし、僕はその「島」に居る状態です。
      だから「船が来てるなー」とか、「この島何もないんだよなー」とか
      「果物は美味しいんだよなー」「人口数人なんだよなー」といった「把握」が出来ます。

      道具を使うというのは、そういった「到達できない距離を埋める為のツール」です。
      早くこちら側に来たいなら、2chでお伝えしたような「努力」と「技術」を身につければいいだけなのですがね、、、

      • ほげきゅー より:

        生年月日と時間でステータスが決まるってのがテレビゲーム的で面白いなあと思いました。
        適当君が2chのスレで言っていたように全てのものは何かを真似て作られたものだとすると、人間のステータスとか運命はまるでゲームソフトのプログラムみたいにある程度決まっているわけで、世界(宇宙?)の仕組みを知らず知らずのうちに人間が真似しているのだろうかとか考えるわけです。
        これってフラクタル構造みたいですよね。拡大していくと同じ構造が現れて、さらに拡大するとまた同じ構造が現れて、というのを宇宙のルールの真似を地球がして、その地球のルールを人間が真似てみたいな。

        早くそちらにいくのはどうにも無理そうな気がしますし、今の僕には人間の五感しか備わってないので、四柱推命とか使ってレコードの一部を垣間見るしかないですが、今生の苦しいこと楽しいこと今も昔も全部ひっくるめていい勉強させてもらってると思えてるので、地道にポイント貯めたいと思います。
        そしたらそのうち強くてニューゲームな人生もあるかもしれないですしね。

        ちなみにこうやってコミュニーケーションさせてもらってるのもいい経験ですよ^ ^
        ありがとうございます。

        • Tekitou より:

          全て真似事ですね、この世界は。
          なので、真似する前の大元を見れば、これから起こる事もわかるわけですね。

          フラクタル構造とはその通り。
          大は小、小は大。
          大きな事柄ばかりに目が行きがちですが、身の回りにある小さな事柄を見れば、だいたいの大きな事柄も理解できます。

          本心を語るなら、気軽にこういう会話ができる時代が来て欲しいと感じています。
          今はどうしても「そうじゃない」というしがらみがあります。
          そのしがらみが邪魔ですね。

          占いだって占星術だって、それを知る為の道具ですので、それを理解する時代が来ればいいとも思います。
          昔は良かった、、、とはいえず、昔も日本人はそういうのに「懸念」を持ちやすい人種でした。
          なんだろうなーなんでこの農耕民族はそう「事実を嫌う」性質なのでしょうかね。

          表面的な綺麗なものだけを見ていたいという願望が強いのが日本人の特性です。
          それが嫌ですね。
          っと、関係ない話をしてしまいました。

          • ほげきゅー より:

            ご返信ありがとうございます。
            人間の嫌なところとか日本人の嫌なところって、経験の数を増やすためにあるんじゃないかと思ってるんですよね。
            経験は経験をした人がいいと思うものも悪いと思うものも、宇宙からみれば等しく価値があるわけですよね(適当君のいうように宇宙がたくさんの経験をしたいというのが本質ならば)。物事を全て素直に受け入れる人ばかりの世界は完全な球。疑ったり、怒ってみたり、喜んでみたりと様々な人がいる世界は凸凹のボール。完全な球は転がせば一直線にしか進みませんが、凸凹のボールはどこにいくのかわからない。どちらが予測のつかない経験ができるかと考えたら後者なわけで、経験を増やすには嫌な性質みたいなのも持たせることが必要なのかもしれません。でも本当に嫌な人に会うと心の底から憎々しい気持ちになりますけどねw
            まあそれも個人的な経験であり、冷静になれば自分の中にもこういう嫌なところあるよなーとか、そもそも人のムカつくところって大体自分が持ってる似てるところだよなあとか考えさせられたりして、自戒しつつ、そういう人をも許せるような人間になりたいなあというのが今の目標です。生きてるうちにできるかしらんw

          • Tekitou より:

            素晴らしいと感じます。
            僕にはそう言った感覚が弱いので、勉強になります。

            人の経験を宇宙も求めているとは思います。
            僕は宇宙と相性が悪いかも知れません(笑)

            真っ直ぐに進むボール、
            確かにそうですね。

            仕事で人に何かを教える時、僕は真っ直ぐなルートや答えを伝えます。
            しかし、受けての方は紆余曲折を経ます。

            僕は「真っ直ぐ進めばいいのに…」と常に思いますが、そうじゃない良さもあるんだなと今分かりました。

            人としての感情がどんどん無くなっていくので、仕方ないかも知れませんが、こうやってやり取りを経て何かを教えていただけることは本心で嬉しく思います。
            ありがとうございます(^ω^)